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言葉の花びら

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☆大津小学校・津波被害に思う☆

= 命を守る・命を救うことの重み =

東日本大震災が発生して大勢の児童と教職員の方が津浪によって亡くなられて、行方不明になっている石巻市立大川小学校の対応をめぐり、御遺族になられた方が県と市に損害賠償を求めた訴訟は仙台地裁から「教職員は津波の襲来を予見でき、不適切な場所に児童を避難させた過失がある」と認めた判決が下された日の2日前に、私はEテレで岩手県久慈市<野田村保育園>の必死の救出を
観たばかりでした。

野田村保育園では・あらゆる災害・に備えて、毎月 避難訓練を行なっているそうです。

巨大地震が発生した日は偶然にも避難訓練を行う日だったので 早めのお昼寝・早めの着替えをしている時に激震が発生したので、主任保育士の廣内裕子さんは 激しい横揺れに耐えながら「大地震が来たら『源平坂』に逃げろ」という地元の言い伝えを思い出されたと。

 「逃げよう!」

咄嗟にそう判断された廣内裕子さんは、0歳児はおんぶして、1歳児の10人は「避難車」と呼ぶ大型の乳母車に乗せて、あとの園児たちは上履きのまま外へ出て高台を目指し 500メートルほど先の避難場所の家にたどり着いたけれど、黒々とした波の塊が防潮林を超え、海岸沿いの国道を走る車をのみ込もうとしているのが見えたので、この高台の家も危ないかも知れないと判断されたそうです。

再び園児たちを連れて『源平坂』を上って、必死になって奥の高台を目指して行かれた。

そこまで登り切れば、津波がきても安全だとされていたところ!!

 「早ぐ、早ぐ!」

源平坂を目指すため ビニールハウスの間を突っ切る時、避難車のタイヤが畑にのめり込み、気持ちが焦って・・・必死で走り・・・源平坂を登りきったところで、津波が止まったのが見えた時のお気持ちは如何ばかりだったでしょうか?

そして・・幼いお子さんたちは、どんな思いを抱いて歩き続けていたでしょうか?

保育士さんたちが90人の幼い園児さんたちの命を必死になって守って下さったことに胸が震える思いです!!

野田村保育園では毎月行なっている避難訓練で、外へ出たら「はやあるき はやあるき せっせと
はやあるき」を 園児さんたちに促しているそうです。

あの日の地震で園舎を流失した中で 園児90を無事に救出して死傷者を出さなかった(命を守ってくださった!)主任保育士の廣内さんは、幼いころに十勝沖地震の経験や「源平坂」の言い伝えに助けられたという教訓を次の世代へ伝えていくことの大切」さを、身をもって体験されたそうです。


◇◇ 津浪 てんでんこ ◇◇
岩手県釜石市北部の釜石東中学校の生徒さんたちは、先生方のご指導のもとで日ごろから訓練していた言う ◇◇ 津浪 てんでんこ ◇◇ 
 ー 地震がきたら、指示を待たずに、ただちに坂道を駆け上がって行く。ー
それは小学校でも訓練していたので、中学生は合流してきた児童を連れて全員・命が無事であったことも、私はここに 記して置くことにしました。




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