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言葉の花びら

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私が見て来た 沖縄より<1>

~ 太田実少将の電報 ~

昨日の朝、私は朝日新聞の一面に載っていた見出し「基地周辺の沖縄、標的に」がパッと目にとまったの
ですが、記事を読まないまま、いつもよりも長くスポーツジムにいました☆

帰ったら、真っ先に沖縄の記事を読まなくては。。。。

そう思ったのは、私が平成1年12月26日から年明けて 1月6日にかけて 沖縄へ行って 見てきた時の
記憶が 昨日のことのように思い浮かんできたからです☆
沖縄から帰って来た直後に記録して置いた冊子を引っ張り出して、読みかえしながら まとめてみました☆

 戦争がもたらした悲劇を知る☆(平成2年の記録より)

<平和な世になる> 私は平成の意味をこのように解釈しました☆ 激動の時代とよばれた昭和は幕を閉じ、
平成も早一年が経ちましたが、こうしている最中にも、世界のどこかで戦争が繰り返されています☆

日本は今、多くの方々が平和を実感して過ごしていらっしゃることでしょう~☆ けれども私は敢えて 太平洋
戦争末期の沖縄戦について記しておきたいと思いました☆ 何故なら、昭和20年3月16日に米軍が 慶良間
諸島に上陸してからは、日米合わせて24万3千人という尊い命が奪われた、その大半は老人や幼児、婦人方の
非戦闘員で、その数は軍人を上回っていたという事を知ったからでした☆

 太平洋戦争で最も熾烈を極めた、旧海軍司令部★★豊見城村★★沖縄方面根拠地隊司令部壕★★★

太田実少将他 多数の将兵が、昭和20年6月13日・午前1時頃 最期を遂げられた(自決された)所が、
当時のまま保存されていました☆

自決された際の傷跡が生々しく残っている岩肌に、私はそっと 手を触れてみました☆

冷たくて・・・固い岩。。。
明日を持たない将兵が鍬やツルハシで掘ったという 固い岩。。。

なんのためにでしょうか。。。 生きるために? 戦うために? 

死に場所を定めるために。。。


太田実少将は、玉砕が近い昭和20年6月6日夜、長文の電報を海軍次官に打ってから 自決された
そうです☆

それは、沖縄県民の献身的作戦協力について 切切と訴えたものでしたから 戦後45年を経ても(私が
沖縄を訪れた当時です。)涙なしには読めない電文を 書き記して来ました☆

左ノ電ヲ次官二御通報取リ計ライヲ得度

・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・

一木一草焦土ト化セン。
糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト請フ。


沖縄県民斯ク戦へリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ。

おおきみの/みはたのもとに/死してこそ/人と生まれし/甲斐ぞありける  という 辞世の句を
遺されて、逝かれたそうです☆




















 <小さな幸せのある暮らし>の中に、私は・よろこびも・かなしみも・織り交ぜて心模様を綴って
    いますが、訪ね来て下さる皆さまがいらっしゃることに☆
    そしてあたたかなコメントを寄せて下さる皆さまがいらっしゃることに☆ 
    感謝の気持でいっぱいです☆  皆さま 本当に ありがとうございます☆☆☆

    新たな出会いを下さった皆様にも心から感謝して☆ どうぞ これからも宜しくお願い致します  


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