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言葉の花びら

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『おかあさ~~ん』

          今日、父が叫んだ言葉は『おかあさ~~ん』だったそうです。


施設でお世話になっている父が、いよいよ動けなくなってきたので、近くに住んでいる姉と、

私が、食事の介助も交代でする事になりました。


綺麗好きで、几帳面だった父が辛うじて、トイレに行く事ができていたのは厳密に

言えば、11月27日まで。


その翌朝、施設から父の様子がおかしいので直ぐに来てくださいと言う電話がきました。


私と次女と夫が駆け付けました。

そこで「もうお別れ~」そのような姿の父と対面しました。(間に合った、と思った瞬間でした)


父は車いすに座っていましたが、血圧は低下し始めて、顔の色も紫色になり始めていました。


「あ~、もう駄目ね」私は父の両手を握りました。

声を掛けても体が前のめりになり始めた父・・・・。


それからどれくらい間があったのかわかりませんが

父の顔に再び生気が戻り始めて、鼾をかき始めたのです。


病院へ連れて行き、”先生の立ち合い、確認”の積りで支度を急いでいた介護士さんが、

父の変化を見て「又、ベッドに戻しましょう」と言って、3人がかりで移して下さいました。


その日から、ベッドに横たわっているだけになってしまった父は、体中が痛むのでしょうか、

「もう、辛いから、痛いから、自分を死なせてほしい」と懇願するようになりました。


「自分は生きていて、何の望みがあると言うのであろうか・・・・・」

会話も、ままならなくなった父は喘ぎながら、そう言って「死なせてほしい」と言います。


今日の昼食の介助に行っていた姉は、私が夕飯の時刻に着いた時も未だ残っていました。


そして、私の前で泣き顔を見せた事がなかった姉の口から

「今日、お爺ちゃんは、いつも言わない事を口にしたのよ」と言って涙を落としていました。


几帳面だった父なればこそ、何一つとして出来ない事は辛いに違いないのですが・・・。


「ああ~、嫌だ。こんな姿になってしまって・・・。自分のお母さんがこんな無様な

格好になってしまったところを見たら、何と言うだろうか~。」と、姉に言ったそうです。


そして「お爺ちゃんは、私が目の前に居るのに、”こんな姿になっちゃったのに、

OO子←(姉の名前)は、私を一人ぼっちにして行っちゃたんだよ”と言って、少ししてから、

『おかあさ~~ん』と大きな声で叫んだの。」そう言って姉は泣いていました。


「おかあさん」そう~、それは明治時代に生きた母親を、父は大声で呼んだのです。


目の前にいる姉と、私達の姿が殆ど見えない、聞こえない、父の暗闇の世界には、

自分を産み、大切に育てて下さった「大好きなおかあさん」の姿が浮かんできたのですね。


その話を聞いていた夫が「そうさ、人間が一番最後に呼ぶのは、

『おかあさ~ん』だよ」と言ってました。(*_*)!?(*_*)!?


*☆*:;;;:*☆*:;;;: 母の御胸に抱かれて、慈しみ深く育てられる愛おしい子供達!!

          

*☆*:;;;:*☆*:;;;: 父は今、まぶたを閉じると「おかあさん」の姿がそこにあるのでしょうか・・・。


                                           *☆*:;;;:*☆*:;;;:


=お断り=

私のつれづれ日記のテーマ「父と暮らした日々の思い出」は、今は、明日をもたない父と

向き合って過ごす私の記録であります。

今しも消え入ろうとしている父と、私、家族、姉兄妹との日々の記録を

大切に紡いでいるものであります。

ゆえに、コメントの御心配は、頂くと恐縮してしまいますから、

このテーマは、どうぞ、飛ばして下さるようお願いいたします(^-^)/









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