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言葉の花びら

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=祈り= <1>

       晴れ 沖縄は今日6月23日に、梅雨明けしたそうです。


       そして今日は沖縄県が本土に復帰してから40年になるのですね。

       沖縄県はこの日、全戦没者を悼む「慰霊の日」を迎えました。

       平和祈念公園では、県などの主催で「沖縄全戦没者追悼式」が行われました。


私は今から振り返る事、22年前に一つの機会を得て、沖縄へ行くことになりました。

それは丁度、昭和から平成へと時代が移り変わった年の暮れから翌年にかけてでした。


沖縄は太平洋戦争の末期に地上戦が行われて、日米合わせて24万3千人という

尊い命が奪われた所。


その大半は老人や婦人、幼児の非戦闘隊員だったと言う、その悲惨さを

知った私は沖縄の記録を自身も克明に残して、今も大切に保存してあります。

その時の記録を(平成2年記)抜粋して今、記憶を新たに呼び覚ますことにしました。




言葉の花びら



                     

戦争がもたらした悲劇を知る <1>


平和な世に成る。私は平成の意味をこのように解釈しました。

激動の時代と呼ばれた昭和は、64年の幕を閉じ平成も早一年が過ぎてしまいました。


小さな島国日本は、経済大国と呼ばれ、資源が無いのに物が溢れているその中に

1億2千万余の人々が平穏無事に過ごしています。


けれども、こうしている最中にも、世界の国々のどこかで人々が互いに

銃口を向け合って戦いが繰り返されています。


日本は今は平和の時代と言えるのでしょう。

けれど、そうした中で太平洋戦争末期の沖縄戦争についてを現地で知った私は

悲惨な沖縄戦を克明に、自身の記憶の中に留めておきたいと思いました。


何故かと言いますと昭和20年3月16日に米軍が慶良間諸島に上陸してから

僅か90日間の中で激しい戦闘によって、日米双方合わせて24万3千人と言う尊い

命が奪われた事を知ったからです。


又、沖縄の方々の大半が老人や幼児、婦人などの非戦闘隊員であり、その数は

軍人を上回っていたという事を知ったからです。


☆☆旧海軍指令部壕☆☆ 豊見城村(とみぐすくそん)那覇の南。

   太平洋戦争で最も熾烈を極めた、日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部壕。


   太田実少将他多数の将兵が、昭和20年6月13日午前1時頃

   最期を遂げた(自決した)所が、当時のまま保存されています。

  

   自決した際の傷跡が生々しく残っている岩壁に、私はそっと手を触れてみました。

   冷たくて、硬い岩。

   

   明日をもたない将兵が鍬やツルハシで掘ったという。

   何のためにでしょうかー。


   生きるために? 戦うために? 死に場所をえらぶために・・・。


   太田実少将は、玉砕が近い昭和20年6月6日夜、長文の電報を海軍次官に

   打っています。


   それは、沖縄県民の献身的作戦協力についてを切々と訴えた電文でしたから、

   戦後45年を経ても尚、強烈に心に迫ってくる思いが致しました。




        左ノ電ヲ次官二御通報取リ計ヲ得度


           ・・・・・・・・ 中略 ・・・・・・・・・

       

       -木―草焦土ト化セン。


       糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト請フ


       沖縄県身民斯ク戦ヘリ。


       県民二対シテ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ。



 おおきみの/みはたのもとに/死してこそ/人と生まれし/甲斐ぞありける


                 このような辞世の句を残して太田実少将は自決されました。


     ☆☆ 戦争の悲劇を二度と繰り返してはならない。その祈りを世界中に届けたいです☆☆




          

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